自分のルーツ
こんばんは。
kanです。
先日の3連休で所用のため、実家に帰省しました。
全然顔を見せない親不孝な私でも、暖かく迎え入れてくれるのだから、親は偉大です。
久しぶりに会うたびに、親は老いていっており、時間が確実に経過していることを実感させられます。
人間いつかは死ぬとは頭ではわかっていながらも、自分の親がいつか死ぬだなんて、微塵も考えることができないのは、私がまだまだ甘いからでしょうか。
相続の話
さて、どなたかが亡くなると、悲しいことはもちろんなのですが、それとともに相続が発生します。
日本は、少子高齢化に伴う人口減少のため、既に空き家問題が表面化してきていますが、今後より一層問題となるでしょう。
今の日本は核家族が主流であるため、親が住んでいた家を相続した場合、管理しきれず空き家として放置なんてことも往々にして発生すると考えられます。
私も祖父が亡くなってもう10年以上経っていますが、今でも空き家や田畑、謎の山林などの処分に四苦八苦しています。
仮に自分が不動産を所有している場合、自分の子供たちに迷惑をかけないためにも、しっかりと管理をして、相続させたら迷惑がかかるような価値の低い物件などは、前もって処分することが大事ですね。
逆に、自分が相続をする立場の場合、両親や祖父母に働きかけることが重要かと思います。どんな不動産を所有しているか、どれくらい金融機関の口座はあるのかといった点をリストアップするだけでも、大きく手間は減らせると思います。
相続とは、お金と生死というデリケートな話題2つが絡み合っているため、中々親と込み入った話をすることが難しいこともあるかと思いますが、なぜそのような作業が必要なのかという点を丁寧に説明して、しっかりと話し合うことが大切かと思います。
ルーツの話
私の両親はとても貴重面なのですが、最近昔の資料をいろいろと整理しているようで、そこで発見した情報を元に、近代の方々の家系図を作成していました。
これが何とも面白く興味深いもので、深い感動を覚えました。
自分の知らない人が確実に自分と血がつながっているという事実。自分の先祖が江戸時代や戦時中にも存在していたという事実をまざまざと見せつけられます。
自分は一人じゃないという思いと、あらたな世代に引き継ぐ尊さをひしひしと感じました。
自分の先祖がどういった人だったのかは、数少ない書物からしかわかりませんので、このようなブログが、私がいたという痕跡になればいいなとも思います。
家や家系で考えることは、今時古い考え方かもしれませんが、変えるべきもの、変わらないものがある中で、変わることのないゆるぎない事実をしっかりと受け止めて、自分もご先祖様に負けないよう、生きていきたい。そんなことを考えた帰省でした。