学ぶということ
人は生まれてから常に学び続けています。
歩き方、話し方から始まり、義務教育で9年間、更に高校で3年間、大学まで進学すれば更に4年間。
そして社会人になってからも、常に新しい学びの連続です。
今日は学び方について考えました。
これまでの学習
学びには2種類あります。
受動的な学びと能動的な学びです。
受動的な学びは一方通行でインプットのみ。学校での学びがそれに該当します。
これまでの学習の多くは、教える側の講師などが一方的に内容を伝え、学ぶ側はそれをそのまま受け止めるという暗記型の学習が中心でした。
社会人になっても、新卒一括採用中心の日本では、新入社員はまず先輩や上司の言うことを聞き、仕事を覚えて行きました。
このように、これまでの学びは、ゼロベースの生徒に対し一から十まで手取り足取り教えるという、生徒から見て受動的な学びが中心でした。
これからの学習
これからの世の中で重要なのは能動的な学びです。
まず自分でやってみて、それを踏まえて考え、自分なりの仮設を構築し、それに対して講師やコーチに修整してもらうというプロセスです。
講師がゼロから手取り足取り教えてくれるわけではなく、あくまで主体は自分。自分で考えに考え、アウトプットを行い、それに対して指摘してもらうことが重要となります。
自分のアウトプットに指摘されるわけですから、ときには厳しいダメ出しもあるかもしれません。しかし、自分で考えて結論を出すという思考プロセスは、全ての行動において基礎となる重要なものであるので、悔しかったり恥ずかしかったりする気持ちをぐっとこらえて、しっかりと受け止めて修整しましょう。
また、この能動的学習は講師側にとっても有益なものがあります。
教えられる側の仮設を検証することで、今までなかった新たな考え方に出会えるかもしれません。
また、1つの目標に向かってお互い切磋琢磨する姿は、まるでプロジェクト成功に向けて努力するチームそのものなのではないでしょうか。
受動的学習と能動的学習。お互いをより認め合うことが出来るのはどちらか一目瞭然ではないでしょうか。
お金を払っているお客様なんだから丁重に扱え、なんて考え方は、少なくとも学びという分野においては今の御時世もう流行りません。
おわりに
私は先日、あるスポーツのパーソナルトレーニングに行きました。
その際、初心者だからという理由で何も考えず、何も用意せず、行けば教えてもらえるだろうという気持ちで行きました。
どうなったかは想像がつくでしょう。
確かに教えてもらえましたが、とても生産性のある時間とは到底言えるものではありませんでした。
お金を払っているとはいえ、コーチの方にも、貴重な時間をこのようなことに費やさせてしまい、とても申し訳なくなると共に、とても恥ずかしい気持ちになりました。
そこで、学びとは何か、教わるとは何かということを改めて考え、もうこのようなことはしないという自戒の意味も込めて、このような記事を作成しました。
教える側、教えられる側。双方にとって、生産性のある有益な時間となることを目指しましょう。